被災地、釜石でのインタビューに同行しました
5月1日、2日で岩手県釜石市にて、井本先生の釜石市の東日本大震災に関するインタビューに学生2名が同行させていただきました。その他、住田町訪問や陸前高田市などの復興状況も見てきました。
まず、2日間にわたり、長年、両石町を中心に釜石の地震・津波被害の伝承に尽力されている瀬戸元さんに、釜石市の津波被害の歴史、東日本大震災当時の様子、釜石市のまちの現状、未来への想いをお話ししていただきました。
瀬戸さんは、漁師の津波に対する意識の薄さに疑問を持ち、釜石にある津波記念碑を調べ始めました。虫眼鏡を持って、何日も足を運び、一語一句正確に漢文で書かれた石碑を解読したそうです。そしてそれら津波記念碑には、先人たちの教訓が記されていることが分かりました。瀬戸さんはこのように長年にわたって得た知識や考えを時折手書きで丁寧に書類としてまとめており、その想いの強さが印象的でした。さらに、明治29年明治三陸地震や昭和8年昭和三陸地震など度々津波被害に遭われた釜石には、明治の甚大な被害の教訓として伝えられ、守られ続けている言葉があります。それは、「命てんでんこ」です。「命てんでんこ」とは、いざというとき、親であろうと子であろうと誰であろうと置き去りにしてでも逃げるということ。一見厳しい言葉のように感じますが、家族が逃げていることを信じ、自分自身を優先し結果的に全員が助かる確率を高めるという教えだそうです。経験として、誰しもが「自分の命は自分で守る」と教えられたことが一度はあると思います。瀬戸さんは「その本当の意味を理解していますか。」と問いました。瀬戸さんは、このような先人たちが残された教訓を防災教育として伝える活動を行っています。この努力が、3月11日、鵜住居小学校と釜石東中学校の児童・生徒たちが起こした、犠牲者を出さずに避難するという「釜石の奇跡」に繋がりました。瀬戸さんは今回のインタビューで度々、後世の人に語り部として思い出してもらえる「先人になりたい。」と仰っていたことがとても印象に残っています。そして、この思いから、今も石碑を残す活動を積極的に取り組んでいます。

津波記念碑の前でのインタビューの様子

インタビューの他にも、いくつかの地域を視察しました。
・千葉学さんの災害公営住宅

被災後の生活の孤独を生ませないため、プライバシーとコミュニティに配慮した設計。上下階を覗くことができ、人の気配を感じる絶妙な距離感を生んでいる。
・陸前高田市

陸前高田市は、まち全体が新しい姿として復興している印象がありました。隈研吾さんや藤本壮介さんなど、有名建築家によって設計された建物がいくつもあり、沢山の観光客で賑わっていました。
・住田町

この橋は部材が金具で一つに繋がっているため、雨などの影響で簡単に壊れますが人の手で何度でも再生可能な原始的な橋です。かさが下がると、地元の人々が協力して直すそうで、自然の摂理に逆らわない美学を感じました。

2014年に東大の学生が仮設住宅を利用した交流スペースを団地内の中央に建設し、そこでお茶を飲んで団欒し賑わう光景があったそうです。現在は、敷地内の中央から後ろへ移設されていました。話を伺いながら、当時はこの舞台が人々の繋がりを与える大きな役割を果たしていたのだろうと想像しました。
この2日間で、岩手県の復興状況を実際に自分の目で知ることができ、自身の研究にも関わる学びが得られました。過去の教訓を胸に刻み、3.11を乗り越える人々とまちの様子が広がっていました。この2日間、瀬戸元さんを始めとした、まちを案内し、お話をしてくださった皆様、ありがとうございました。











