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2022-06-21

日米学生会議福島研修に参加しました

こんにちは。修士1年の土川です。

私は6月18日から1泊2日で日米学生会議の福島研修に参加しました。

この研修では主に、福島第一原発や被災地域の視察を行いました。

1日目の最初は福島第一原発を見学しました。東京電力の方から現在行われている廃炉作業や汚染水について説明を受けた後、バスに乗り構内を回りました。

バスの中には線量計が設置されていたのですが、原子廃建屋に近づくにつれて 0.02µSv から 0.50µSv へと数値が跳ね上がっていくのは少し恐怖を感じました。(人体に影響はなく安全な数値の範囲内です。)

そして最も原子廃建屋の損傷が激しかった1号機まで約100mの高台のところでバスから降り、見学しました。1号機はいまだに鉄骨が剥き出しで事故の激しさを感じ、2号機や3号機は建屋を覆うように鉄骨が組まれ、廃炉に向けて作業が行われていました。

原発内を見学するという貴重な体験をすることができ、事故の激しさと周辺に与えた影響の大きさを感じることができました。

その後は大熊町の大野駅周辺や大川原地区を視察しました。大野駅周辺は1年前に行った時とは異なり、ほとんどの家屋が解体され、更地となっていました。

たった1年でここまで大きく変化するのかと衝撃を受け、以前の町の様子が感じられなくなってしまうことに寂しさを感じました。

大熊町の大野駅前の通りの比較 上:2022年6月 下:2021年6月

2日目は中間貯蔵施設の見学や被災地で活躍されている起業家や活動家の方からお話を伺いました。

中間貯蔵施設

中間貯蔵施設の見学では、大熊町の熊町小学校や熊川区公民館を地元のガイドの方と一緒に見学しました。ガイドの方は津波で家族(父、妻、娘)を亡くし、その教訓を後世に伝えるために活動されている方でした。熊川小学校は建物内部が地震発生時からそのままの状態になっていて、地震の激しさを感じることができます。

ガイドの方の2人の娘さんも当時この学校に通っていて、地震直後にはガイドの方の父が娘さんを迎えに学校へ行きましたが、母が海に近い自宅に残っていたため、長女を学校に残し、地震に怯える次女と自宅へ戻りました。しかし、幸いにも母は地域の方々の呼びかけによりすでに避難していました。そして、自宅に戻った父と次女が津波に流されてしまったそうです。

ガイドの方は「長女が学校に残ったように引き取るだけが選択肢ではない。誰かを責めることはできないけど、『海に近い自宅に戻って大丈夫?』の一言があれば変わっていたかもしれない。」とおっしゃっていました。

また熊川小学校は中間貯蔵施設内に立地し現在も残されていますが、町内にあったもう一つの小学校はすでに解体されてしまったそうです。ガイドの方はこの小学校があることで亡くなった娘のことを思い出すことができ、この大災害を教訓として後世に伝えていくことができるとおっしゃっていました。

東日本大震災で私たちが経験したように自然災害は想定をはるかに超えて人々の営みを簡単に破壊していきます。そのような災害時に重要なのが教訓だと思います。二度と同じことを繰り返さないために、災害時に何があったのか、どのように行動して助かったのか、あるいは命が失われたのか。災害を風化させず後世に伝えていくことが何よりも重要であるとお話を聞いて感じました。

校庭に草木が生い茂ってしまっている熊川小学校
津波の被害を受けた熊川区公民館
津波の被害を受けたヒラメ養殖場

午後は福島の被災地で活動されている起業家や活動家の方からお話を伺いました。お話の中で共通していたのは、戻ってくる人が圧倒的に少ない中でどのように地域を再生させていくか奮闘されている点でした。浪江町で活動している方は、B級グルメのなみえ焼きそばで地元を盛り上げる取り組みをされていたり、福島で取れる食材で様々な加工品を作って全国に広める取り組みをしていたりしました。福島の復興において未だに多くの課題がある一方で、このように前向きに活動をしている方がいることを知りました。

今回の研修を通して福島の現状をさらに知ると共に、異なる分野を学ぶ学生と交流することができ、色々な考え方があることを再認識しました。

福島の被災地において元々あった営みを更地にして開発を行い、移住者を呼び込むことや、新たな技術を用いて再生可能エネルギーを促進する場所にすることが現在進められていると思います。しかし、原発事故から11年が経過した今も避難を続けている人がいたり、そもそも避難者として数えられず十分な支援を受けることができなかったり、苦しい思いをしている人たちがいることも現状としてあると思います。町の開発ばかりに目を向けるのではなく、そのような支援の枠組みから漏れてしまった人を含めて町の未来について考えていくことが重要だと思います。

そして、かつて人々の営みがあった田畑の多くに今は太陽光パネルが敷き詰められ発電されていますが、その電力は関東に住む私たちが使いるという認識をもち、福島の現状について知ることが今必要なのではないでしょうか。

使われなくなった田畑に敷き詰められた太陽光パネル

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